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【プロジェクトストーリー#2】市場を創る。ある社員の挑戦が、新たな扉を開く。
ゼロから市場を創る。ある社員の挑戦が、会社の新たな扉を開いた。
子供服を主軸としてきた丸久株式会社。その100年を超える歴史の中で、
メンズ領域は「ほぼほぼゼロに近い感じだった」と、営業の彼は語る。
これは、丸久が未開拓の領域に挑み、新たな事業の礎を築いた物語だ。■変化の胎動。「子供服の丸久」からの脱却
創業から一世紀以上、丸久は時代の荒波を乗り越え、成長を続けてきた。
その根底に流れるのは、「先手必勝」という経営哲学だ。外部環境の激変に対し、
タイ、中国、バングラデシュへと果敢に生産拠点を移管した判断に、
そのDNAは表れている。社是にも「変化への対応」という言葉が
深く刻まれている。2010年代、その「変化への対応」が再び問われる時が来た。
少子化という潮流の中、主力の子供服市場は安泰ではなかった。
会社の成長には、新たな収益の柱が不可欠だった。
かつて「企画力」を強みとした会社は、海外自社工場を核とした「生産力」を
持つメーカーへと進化。
会社が次の一手を探す中、手薄だったメンズ領域への展開が浮上した。■外から見た丸久の「可能性という名の荒野」
この重要なミッションの旗手となった社員がいる。
新卒で丸久に入社後、一度は「高みを目指す」という思いから大手アパレル企業へ
転職。巨大な組織の中で、洗練されたシステムと豊富なリソースに触れた。
だが、巨大な組織の歯車である感覚と、ものづくりの本質から遠ざかる
焦りも感じていた。そんな環境を経験したからこそ、彼は丸久が持つ独自の可能性を再認識する。
「大きなところでやれてないようなことを、やれるフィールドがある」。
外から見つめたことで、その魅力が明確になったのだ。
企画と生産の距離が近く、年齢を問わず挑戦を後押しする文化。
再び丸久の門を叩いた彼は、会社への貢献を自問した。
「ゼネラルリストじゃなくてスペシャリスト」として、
誰にも真似できない価値を確立したい。
彼が選んだのは、前例のないメンズ事業をゼロから創造することだった。■「武器」を手に、逆境を乗り越える
挑戦の道のりは険しかった。当時の社内には、メンズ領域のノウハウや実績が全くない。市場のトレンドは? ターゲットは? デザインは? 販路は?
手探りの提案は、「コストが見合わない」「うちの顧客層とは違う」
と厳しい評価に晒され、社内には懐疑的な空気も流れた。この状況を打開したのが、2009年設立のバングラデシュ自社工場だ。
この拠点は、コスト削減以上の価値をもたらした。生地の編立、染色、プリント、縫製までを一貫して行う垂直統合拠点であり、
「MARUHISA STANDARD JAPAN QUALITY」という品質哲学を実現するための
心臓部だった。彼は、この工場の存在こそが課題を打ち破る鍵だと気づく。
高品質・競争力のある価格・柔軟な納期を供給する体制。
この自社工場を、彼は挑戦における最大の「武器」と捉えた。
彼は語る。
「その武器を自分だったらどう使うか考えた時に、男の子系、
メンズ系という切り口を開けた」。
彼は工場と連携して素材開発から着手し、小ロット生産で市場の反応を
確かめながら、一歩ずつ道を切り拓いた。■一人の挑戦から、会社の新たなスタンダードへ
バングラデシュ工場という武器を活かした挑戦は、着実に成果となって表れた。
ゼロから始まったメンズ領域は、最終的に「1つの組織として
会社にとって重要な柱の1つ」になるまでに成長。彼は自身の価値を確立し、
会社に多様性と成長の可能性をもたらした。彼の挑戦を支えたのは、丸久に根付く企業文化だ。
彼は言う。「うちの会社は、あんまり年齢関係なく、こういう風に
やりたいんだって言えば、じゃあやってみろよと、いうところの、
懐の深い部分がある」。
主体的な挑戦には、会社も周囲もチャンスを与え応援する。そして、その根底にはもう一つの強固な文化、「結束力」が存在する。
かつて不良品が発生した際、部署の壁なく全社員が検品・修正にあたった
逸話がある。
問題発生時、責めるのでなく会社全体で乗り越えようとする文化。
彼の挑戦も、このチームワークに支えられていた。丸久は今、次のステージを見据えている。国内だけでなく海外へと視野を広げ、
素材開発をさらに深化させ、新たな市場を開拓するフェーズに入った。
彼の挑戦は、その新たな航海に向けた確かな成功事例となった。必要なのは、現状に満足せず、自ら考え行動し、新たな道を切り拓ける人材だ。
会社の武器は揃っている。あとは、あなたのアイデア次第だ。丸久には、そのためのフィールドが用意されている。
あなたなら、このフィールドで何を成し遂げますか?アパレル 営業 MD グローバル 市場開拓 挑戦を後押し ものづくり 採用情報
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