リクルートスーツ

毎年3月をすぎると、まるでユニフォームかのように同じ黒一色のスーツをまとった就活生が街にあふれます。そんなリクルートスーツを没個性だ、同調圧力だと批判する人がいる一方で、ただでさえ忙しい就活期間に服装まで気にしている暇はない、服装が同じだからこそ内面の差異化が可能だとその合理性を唱える人もいます。

そんなリクルートスーツですが、実は黒のスーツが就活生の基本スタイルとして定着したのはここ20年のことです。本記事ではリクルートスーツの歴史を当時の社会情勢を踏まえながら振り返り、なんとなく着なければいけないと思っているリクルートスーツの役割を考えていきます。

前編では1950年代から1980年代までの変遷にフォーカス。男性、女性それぞれの視点から当時の特徴を概観していきます。

1950〜60年代

男性 社会人のシンボルとしての背広

男性 社会人のシンボルとしての背広

1950年代、男子学生は詰襟を制服として着用していました。制服は学生の普段着としての役割も担っており、もちろん面接にも制服を着て行きました。

一方で、スーツは当時背広と呼ばれていました。戦後、皇族の着用を受けて民主化の象徴として社会に浸透した背広は、着回しができる利便性から経済的に余裕がなかった当時のサラリーマンに重宝され、徐々に社会人のシンボルになっていきます。そんな背広は詰襟ばかり着ていた学生たちの憧れの的でした。

1960年代に入るとアメリカからポップカルチャーが流入し、若者のファッション意識が高まります。当時のトレンドとしてアイビー・ルックがあります。背広をカジュアルダウンしたようなスタイルが特徴的でした。流行に敏感なアイビー・ルックの学生たちは銀座のみゆき通りに多く見られたことから”みゆき族”と呼ばれていました。これは、少なからず学生の背広に対する憧れを反映していたと考えられます。

このように大学生の服装として制服以外の選択肢が登場すると、平凡な背広が社会人の象徴として強調されました。これはチャコールグレーや紺など無難な背広を着ることで社会人の仲間入りできるという風潮を後押ししていきます。

60年代後半には高度経済成長の波に乗り、大学生の数は増加し、斡旋式から自由応募式の就職活動がメインになっていきます。依然として学生らしさを強調できる制服は面接の定番の服装でした。

女性 “女らしさ”との葛藤

女性にとって1950年代は社会進出の幕開けの時代です。働く女性は増加していきますが、女性が働くのは結婚するまでなので中高生を雇った方が結婚適齢期まで長く働いてもらえるという価値観が主流であったため、大卒女性の就職は非常に難しい状況でした。

また、中高生は男性と同様に制服を着て面接に挑むことができましたが、制服を持たない大学生は当時の女性社員の制服を参考にして、スーツを着て就職活動をしていました。(この時代のスーツは女性の仕事服を指していました。)具体的にはジャンパースカートにブラウス、ツーピースなどの服装が好まれたそうです。

しかし、学生から大人への服装規範の変化が男性ほど明確でなく、当時の雑誌では髪型や化粧など細部に対するアドバイスが目立ちます。つまり、女性が気にするべきは明確な服装の規定よりも、いかに“女らしさ”を取り入れるかだったと考えられます。

会社に行くと制服が支給されるにもかかわらず、出勤服にも“女らしさ”を求められる一方、華美すぎる服装は社会人として信頼に欠くというダブルバインドに悩む女性も少なくありませんでした。

60年代以降も女性の社会進出は進みますが、いまだに“職場の花”としての役割が求められており、このダブルバインドは維持されていきます。

1970年代

男性 学生服からスーツへ

男性 学生服からスーツへ

70年代に入ると、それまで女性の仕事着を表していた”スーツ”という言葉が徐々に男性の背広を示す言葉としても使われるようになりました。これはこの時期に見られる背広の役割の変化を反映していると考えられます。

70年代初め、制服は普段着としての役割を失いつつあり、制服を持たない学生も多くなっていきます。60年代のアイビー・ルックの流行から、背広に馴染みのあった学生たちは就活の服装にスーツを選ぶようになります。ただし、スーツという新たな選択肢の登場は面接に何を着ていくべきか学生たちを悩ませることになります。

こうした学生の悩みの声は大学生協に集まりました。そこで大学生協と百貨店は協力してスーツ販売キャンペーンを打ち出し、ますますスーツの人気が高まっていきます。

さらに、メディアを通じて広まったスーツでの就活成功談や人事の肯定的な意見などが学生のスーツ着用を後押ししていきます。また、好景気にも陰りが見えたこの時期、服装を理由に面接で落とされることを恐れた学生たちが、当たり障りの無い服装を目指したことも影響しました。70年代後半に入ると、スーツと学生服の割合は逆転します。

当時、グレーのスーツはドブネズミ・ルック呼ばれ、中年サラリーマンをからかう言葉として流行していました。このグレーに対するマイナスなイメージから、若々しさを演出できる紺のスーツと赤のネクタイの組み合わせが学生たちの人気を集めていました。

女性 キャリアウーマンの誕生

70年代に入っても社会における女性の役割は大きく変化することはなく、就活市場でも中高生の需要が高いのが現実でした。

70年代後半には世界的な女性の解放運動の高まりから、日本においてもキャリア志向の女性に注目が集まるようになっていき、「キャリアウーマン」という言葉が生まれました。

いまだに社会に”女らしさ”のダブルバインドが存在する中、単に男性のビジネススタイルを真似るだけでなく、“女らしさ”を最小限に抑えながらも女性の権威を高めるキャリアウーマンとしての服装を確立することが目指されました。

働く女性のスタイルすら手探りの状態だったので、もちろん就活生の服装も決まったスタイルは存在しておらず、ブレザーにスカートやワンピースなど60年代と大きく変わることはありませんでした。

1980年代

男性 スーツで個性を表現する時代

男性 スーツで個性を表現する時代

80年代に入ると就活生の8割がスーツを着用するほど、就活の服装としてスーツが定着していきます。しかし、まだまだリクルートスーツが誕生してから日は浅く、細かい規定については曖昧な部分が多くありました。そのため、80年代はリクルートスーツが当時の流行が反映しながら少しづつ姿を変えていく時代でした。

当時は就活用に購入したスーツを社会人のファーストスーツに転用しするために無難なスーツを選ぶことが一般的で、80年代初めは70年代に引き続き若々しい印象の紺のスリーピースに赤いネクタイというスタイルが人気でした。一方で、無難なリクルートスーツが標準化し始めると、それを没個性と批判する声も上がるようになりました。

また、80年代中頃に就職活動の開始が早期化されたことに伴い、学生たちは真夏の就活に適応して、ベストを省略したツーピースのスーツを着るようになっていきます。元々ツーピースのスーツはスリーピースよりもカジュアルなものとされていましたが、それがかえってフレッシュさを演出できる要素として若い男子学生たちに受け入れられました。

80年代後半には国内はバブル景気に突入。それにあわせて就活も売り手市場になっていきます。学生たちにも金銭的・精神的な余裕が生まれ、無難なスーツに加えて着こなしに幅を持たせるためにスーツを2〜3着を購入できるようになりました。色やデザインもチャコールグレーやノーベントなど選択の幅が広がり、志望する業界に合わせて個性を強調することが求められていました。

また企業側も、細かいリクルートスーツの規定が明確に存在していたわけではなかったため、清潔感があり失礼のない格好であれば良いと考える傾向にあり、こういった個性のある服装を特に問題視することはありませんでした。

女性 自己表現としての自由

70年代後半からの女性の社会進出の加速を受け、80年代には雑誌などのメディアで女性のリクルートファッションが注目されるようになりました。

男性と同様に清潔感と若々しさが求められたことはもちろん、引き続き“女らしさ”は面接において重要な指標であり、化粧や髪型、マニキュアに至るまで細かく規定されていました。

80年代初め、トラッドファッションの流行に合わせてブレザースタイルが就活の服装として人気を集めていました。ブレザースタイルは「お嬢さん風」と捉えられ、明るく真面目でよきアシスタントとして働ける人という企業の求める人物像を反映していることも人気の要因の1つだったと考えられます。

それ以外にも、スーツやワンピース、リボンタイやネクタイなど選択の幅はかなり広かったようです。どんな服装でも共通して“女らしさ”を隠さず誇張せず、清潔感のある服装が求められていました。

1986年の男女雇用機会均等法の施行はこのような女性のリクルートファッションに影響を与えました。性別に関わらない社会進出が法規上認められたことから、”職場の花”としての役割が薄れていきます。これにより総合職ではスーツスタイル、事務職では従来のフェミニンなスタイルが好まれるという職種による服装の違いが生まれました。

また、バブル経済の影響も相まって、リクルートファッションの自由度はピークに達します。80年代後半には少しずつ女性の社会的地位が向上して、従来のような女らしさのダブルバインドの中での自由ではなく、企業や業務とのマッチングや自己をどう表現するかということを踏まえて、常識の範囲内で自由が認められるようになっていきます。

まとめ

戦後からバブルまでは、制服を脱いだ大学生たちが社会に求められる人物像を反映しながら、リクルートスーツの原型を作り上げていく時代でした。

現在と比べて服装の自由度が高かった80年代は、まだ規範が形成段階だったことや当時の経済状況、リクルートスーツの役割の違いがその背景にありました。

中編ではバブル崩壊を迎えた90年代から2010年代までの歴史を追い、リクルートスーツがどのように現在の黒一色へと変化を遂げていったのかを見ていきます。

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【参考文献】
「リクルートスーツの社会史」(田中里尚、青土社、2019)


岩田日向子(READY TO FASHION MAG 編集部)

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